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クスコからマチュピチュへの旅

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他のラテンアメリカの国々同様、カトリックの信仰あついペルー。町の各所には、カテドラルを中心とした広場・プラサの均整のとれた方形の空間がある。植民地時代とあまり変わらなさそうな、現在の旧市街の町並みは、石畳のでこぼこの多い路地からできている。路地と人々の生活を厳然と区切る白い壁が左右から迫った通路は、むかしはロバの引く荷馬車などか、そのころとしては騒々しい車輪の音を響かせながら通ったことだろう。鉄の枠組みに、リベットで頑丈に補強された重い木製の扉は固く閉ざされているが、その奥には、南ヨーロッパからもたらされたパティオ様式の美しい庭がひっそりと隠されている。花で飾られた、スペイン風の小さな噴水では、アンデスの小鳥たちが水浴びもしているだろう。

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クスコは、大変乾燥した大地が、うねうねと続く大波のような高原となって四方から押し寄せてくる所だ。アンデスとはいえ、氷河を頂く山々は遙か遠い存在に感じられる。ボリビアのアルテイプラーノの荒々しく荒涼とした気配はない。他の大陸からもたらされたユーカリの木が、ほどよい木陰をつくり、のどかともいってもいい風が吹いていた。インカ時代の要塞の遺跡と伝えられるサクサイワマンは、日本人の意識からする石組みといった重量の感覚を遙かに超えていた。軽やかな風と、不動の石の永遠の重量。

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ウルバンバ谷を下る列車は、軌間900ミリの軽便鉄道。クスコの町外れの停車場は、以前より見違えるようで、むかしペルーの経済状況の悪い頃、停車場間近の、暗くあやしげな市場の人影におびえるように駆け込んだホームの面影は、今はない。クスコの煉瓦色に統一された甍の町は、スイッチバックを繰り返しながら進む列車の窓から遙か下に遠ざかる。登り終わった列車は、しばしの直線を楽しんで、線路の継ぎ目のリズムが一定を刻み心地よい。こんな平らな高原もこのあたりに広がっているのである。一面の畑。農作業をせっせとこなしている人々は目立つが、機械類は動いていない。人力のみの根気のいる耕作が、人類の農耕の歴史の始点から途切れなく続く。下り勾配の線路では、気動車はエンジンを休め、ブレーキの高音が緊張を強いる。サボテンが目立ってきた。

アンデスに清流は少ない。山の砂礫を含みすぎて白く渦巻く濁流のウルバンバ川は、巨大な岩を押し流している。鉄橋の建設も危険なのか、その後ずっと線路は左岸に寄り添ったままである。谷の上空が前後に細長くしか見えない。切れ込みのような岩壁のクレバスの奥底を列車は進む。植生が変わってくる。緑が濃くなる。湿度を好むシダ植物が目立ってくる。風が重くなる。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 あの数々の壮大な石造建築物を作り上げたインカの人々にとっても、数々の困難があったことだろう。でも、いかにしてという問題は、さいしょから不可能とはけっして感じられなかったことだろう。しかし、なぜ、作らねばならなかったのか。アンデスの急峻な尾根の突端に位置するこの遺跡は、大空に浮かぶ幻の城塞ではなく、石組みの重量をもつ現実として目の前にある。世界中から人々を集める魔力はけっして消え去らないだろう。